中文熟考

中日翻訳者が綴る日々の記録

「赤毛のアン」と女性たちの葛藤

編集者時代から1日数ページでも何か読んでいないと落ち着かない。

忙しい時期もだいたい本2~3冊を並行して読んでいて、ミステリ小説や人物伝が多い。

台湾に住んでいたときは、台北中心部でしか日本の新刊を買えなかったので、

Kindle paperwhiteを購入して、電子書籍を買っていた。この出費がバカにならなかった。

帰国してよかったことの一つは、図書館で日本語の本を借りられることだ。

話題の新刊は予約してもなかなか順番が回ってこないけれど、

数年前に気になって読みそびれていた本は、たいていお金を出さずに読める。

図書館通いの合間に古本屋もよく行く。先日は林真理子さんの「白蓮れんれん」を読み終えた。

そういえば林真理子さんが珍しく伝記を書いていたな、と思って手に取った作品だ。

大正の世を揺るがしたスキャンダル「白蓮事件」がテーマだけに、

なんとなくあらすじは分かっていたが、不倫に至るまでを丁寧に描いていて、

「愛のない結婚が女にとっていかに不幸か」を強調する筆致が林真理子さんらしいと思った。

白蓮さんに導かれ 村岡花子さんの評伝へ

この事件が連続テレビ小説で描かれ、白蓮を仲間由紀恵が演じていたなと思い出し、

そういえばモデルの村岡花子は日本を代表する翻訳者ではないか、

翻訳に携わっている今こそ、と今更ながらドラマ「花子とアン」の原作「アンのゆりかご」を読んだ。

村岡花子といえば、戦時中に敵国の言語である「赤毛のアン」を翻訳した人として有名だけれど、

この本を読んで分かったのは、翻訳は彼女がこなした膨大な仕事の一部だったということだ。

英語教師から小説の執筆、ラジオ出演と活躍は多岐に渡り、また時代を彩る女性たちと共に、

社会活動にも積極的に参加していた。家のため、世のため人のため働き抜いた「使命感の塊」なのだ。

ドラマでは村岡儆三(ドラマ内では村岡英治)との不倫がドラマチックに描かれていたが、

本書では2人の手紙のやりとりをさらりと紹介するだけにとどまっている。

花子が7歳の息子を亡くした悲しみの中、略奪婚の報いだと自分を責める描写はあるものの、

母親としての喪失感から立ち直るきっかけもまた仕事への情熱というのが、彼女の人生を物語っている。

主婦であり大黒柱でもあった花子の葛藤

夫である村岡儆三は、親が築いた印刷会社の二代目として華々しく花子の前に現れたが、

関東大震災をきっかけにその会社を倒産させてしまい、自身も体調を崩して自宅にこもりがちになり、

その後は事業をやり直した様子も、外で働いている様子も窺うことができない。

はっきりとは書かれていないが、どうやら家計を支えているのは花子のようなのだ。

白蓮事件」で駆け落ちした柳原白蓮に、花子が送った手紙にはこんな記述がある。

普通の家庭って家事のことを注意しながら、そして経済までも心配しながら、家事以外の道を棄てぬと言ふ事はかなり骨の折れることです

「アンとゆりかご」

家事、家計、そして仕事に奮闘する、兼業主婦の葛藤が垣間見える。

家にいるからと夫が家事をする時代でもなく、お手伝いさんを雇っていたようで、

娘のお弁当もお手伝いさんが作っていたのだが、娘が学校から帰ってきて、

「外ではお母さんのお手製弁当だと言っている」と話すシーンがある。

お母様は、家事と仕事を両立している女性、ということになっていますからね

「アンとゆりかご」

母としての外面を繕ってくれる娘に対して、花子は心底申し訳ない気持ちになっている。

家事に手が回らなくなるほど多くの仕事を抱え、引っ張りだこの活躍をした花子だが、

本当はお金になる仕事だけでなく、童話や小説を思い切り書いてみたい気持ちもあったそうだ。

経済と創作の葛藤は男性作家にもあるだろうが、女性は家庭を守ってこそと言われる時代、

花子の悩みはより深いと感じる。

「花子」と「アン」の意外な共通点

この本がただの評伝で終わらないのは、代表作「赤毛のアン」が翻訳者としてだけでなく、

村岡花子という女性の生き方や人生にあまりにも相応しい作品だからだ。

作者の村岡恵理さんは花子の孫にあたるのだが、おそらく家族というつながり以上に、

女性としての共感と理解が、本書のテーマを一貫させたに違いない。

モンゴメリの人生観そのものに花子は深く共鳴していた。

「アンとゆりかご」

赤毛のアン」で人気作家となったモンゴメリだが、その後も郵便局員の仕事を続けたこと。

女性の地位向上のために縦横の活躍をしながら執筆を続けたこと。2児をしっかり育てたこと。

これまで花子の生涯を読んできた者は、才能あふれる2人の境遇が似ていることに驚かされる。

花子には、モンゴメリの、文筆にかける夢と、実生活で果たすべき責任の狭間での葛藤が痛いほどわかる。

「アンとゆりかご」

多くの役割を背負いながら物語を書いた女性と、訳した女性が産み出した「赤毛のアン」なのだ。

「曲がり角をまがったさきにいちばんいいものがある」とアンが言うのなら、

読者である私もひとりの女性として、未来の希望を信じられる気がする。