中文熟考

中日翻訳者が綴る日々の記録

「辨髪のシャーロック・ホームズ」は次作以降に期待。

 最近は中国語の小説が豊作で、翻訳版も注目を浴びている。特に昨年の「台北プライベートアイ」と今年出版された「辮髪のシャーロック・ホームズ」(どちらも文芸春秋)は、ミステリー好きなら理屈抜きで楽しめる2冊だ。舩山むつみさんの翻訳も本当に素晴らしくて、それぞれの世界観を際立たせてくれている。  

原著と比べる時に便利なので、電子書籍で購入

まずは「辮髪のシャーロック・ホームズ」から感想を書き留めておきたい。

ホームズが香港で暮らす清国人だったら

辮髪のシャーロック・ホームズ 神探福邇の事件簿

原題:神探福邇、字摩斯

著:莫理斯 (トレヴァー モリス)

翻訳: 舩山 むつみ (翻訳)

文藝春秋

舞台は清朝末期、アヘン戦争から40年後の租界地・香港。満州人で辮髪の福薾(フーアル)と、戦争帰りの漢方医・華笙(ホアション)が難事件を解決していく、という中短編集だ。ホームズの中国語表記「福尔摩斯」の漢字だけを変えた人物名から分かるとおり、コナン・ドイルシャーロック・ホームズ」シリーズのパスティーシュ作品となっている。

 一話目の「血文字の謎」は「緋色の研究」、二話目の「紅毛嬌街」は「赤毛組合」とほとんど本家をなぞるような形でスタートするが、後半に向けてだんだんとひねりが加わってくる。私は特にホームズファンではないので翻案の醍醐味が今ひとつ味わえなかったが、それでも香港を舞台にした他にはないムードと、正統派ミステリの数々を楽しめた。

 ただ、本家に比べるとキャラクターが薄いという印象も受けた。フーアルは辮髪という清国人ならではの髪型こそインパクト大だが、それほどアクの強い人物でもなく、完全無欠の紳士として淡々と事件を解決していく。語り手のホアションもあくまで一番近くで見ている人物で、意外な関わり方をするような事件は見られなかった。4部作の1作目ということなので、今後のキャラクターの成長に期待したいところだ。

 一度でも香港に行ったことのある人なら、あの独特の地形や街並みを思い浮かべながら、昨今注目される香港の歴史にも生々しく触れられる。ホームズの趣味であるバイオリンが胡琴に置き換えられているのも面白い。二胡の調べをBGMに香港に思いをはせながら、中国茶飲み飲み読了。

作者はカレン・モクのお兄さんだった

 読み終わってから知ったのだが、作者のトレヴァー・モリス(c)氏は香港の大物女優カレン・モク(莫文蔚)の実兄なんだとか。イギリスで法律を学び、映画会社でドキュメンタリーやアニメを作っていたという経歴の持ち主。これが小説デビュー作だというから、莫家の芸才、恐るべし。

カレンはスター歌手でもある。最近日本でも公開された映画「あなたがここにいてほしい(我要我們在一起)」(2021年)の主題歌「这世界有那么多人」を歌っている映像を見たら、相変わらずの美しさだった。「辮髪のシャーロック・ホームズ」は香港で舞台化されたそうだが、映像化の際にはぜひ「親王府の醜聞」のあの役あたりでカメオ出演してほしい。

 本書は原書房の「本格ミステリ・ベスト10」の海外部門で第10位にランクインしたそうだ。中国語の小説も海外ミステリの中でだんだんと存在感を増して、ミステリファンと共有できるのがうれしい。