以前大学図書館で働いていたときに、毎月新刊図書の選書をしていて、
学術書を中心にした日本語書籍だけでも、こんなに出てるのか!と驚愕した。
今では書店をブラブラすることもめっきり少なくなり、
興味のある本をダイレクトにポチるのが当たり前の世の中で、
客観的に新刊を一覧することが少なくなっているので、貴重な機会だったと思う。
それでも私は図書館通いが趣味なので、2週に一度は返却がてら館内を巡るのだが、
私が通うのは横浜市で一番大きな図書館だけに、
目に見える蔵書だけでも圧倒される量の本が並んでいて、
「いったい何回転生すれば全部読めるのだろう…」
と、毎回軽く途方に暮れて、自分の小ささを噛みしめる時間となっている。
つまり本はその莫大な量だけでも、いろいろな学びを与えてくれるのだが、
片っ端から乱読して蔵書と戦っている私にとって、
「同じ本をもう一度読み返す」というのは、かなりハードルの高い選択といえる。
きっとまだ出会っていない良書が山ほど、本当に山ほどあるのに、
同じ本を手に取ってる場合か!と葛藤しつつ、読み返してしまう本があるのだ。
そこで「読み返し」をテーマに趣向の違う2冊を紹介してみようと思う。
読み返し本①
もうこれは近代文学ではなく、古典なのでしょうか。もう10回は読んでいる。
ちなみに私は大学の卒論で三島由紀夫をテーマにしたほどの純文学好きではあるが、
夏目漱石はこれ以外ほとんど読んでない。日本人として恥ずかしい。
気骨があるかと思うとめんどくさがりで、不器用かと思えば意外と順応性が高く、
最終的には同僚の復讐にただ乗っかっただけで、母代わりの使用人の元に逃げ帰る、
肝が据わってるんだかないんだか分からない主人公が人間らしくて大好きなのだ。
正義感があるとすれば、それは同僚の山嵐のほうで、坊っちゃんはフラフラしている。
何度も読み返してしまうのは、たぶんこの坊っちゃんという若者に会いたいからで、
フラフラしながらも曲がったことが嫌いで、自分を愛してくれた人を思っている、
そんな坊っちゃんに出会うたび、人間それで充分じゃないか、と確認しているのだ。
人間のしょうもなさをこんなに面白く表現できるというだけでも、
漱石先生の偉大さが分かるというものだ。今日もしょうもなく生きよう。
きっと私は漱石一人の全作品すら読破できずに終わるのだから。
仕事が溜まっているのを忘れてた(忘れようとしてた)。
次回は読み返し本②として、「朝2時起きで何でもできる」を語ります。