中文熟考

中日翻訳者が綴る日々の記録

いまだ残るWBCの余韻。“野球の神様”について思ったこと。

我がベイスターズの輝かしい4月が終わろうとしている。

25年ぶりの優勝という夢がちらつき、落ち着かない日々である。

 

夢といえばワールドベースボールクラシックだ。

強烈すぎていまだ余韻が消えない。

少年マンガから飛び出してきたようなチームと、

野球の面白さがこれでもかと詰まった試合で、全戦全勝とは。

村上の逆転サヨナラタイムリーには、正直98年のベイスターズ優勝よりも泣かされた。

こういうことを言うとベイスターズファンとしてのあり方を問う方がいるが、

あれは素直に号泣していいところでしょう。

 

大谷選手が漫画「メジャー」の茂野吾郎に重なった、という感想にも共感だ。

想像の斜め上を行くプレーと、「こいつとなら勝てるかも」と

周りをその気にさせる力がまさに吾郎で、まさにジャンプの主人公だったなぁと思う。

同じ時代に生まれたことに感謝しかない。

 

まるで実写版だな、ということでいえば、信じる采配で脚光を浴びた栗山監督が、

個人的には映画「KANO」に出てくる近藤兵太郎と重なって見えた。

 

「KANO」は2014年に公開された、実話を基にした台湾映画で、

台湾の農業高校野球部を甲子園準優勝に導いたのが近藤監督だ。

「KANO~1931 海の向こうの甲子園~」

甲子園歴史館にもブースあり

適材適所で最強のチームを作れ

当時の台湾は日本に統治されていたので、どの高校も甲子園への挑戦権があった。

第二次世界大戦の敗北で日本が撤退し、国民党統治になってからは

出場権自体がなくなるので、時代背景が生んだ幻の甲子園物語といえる。

当時のスタメンが日本人、台湾人、台湾原住民で構成されていたことも、

奇跡的な歴史の妙といえるだろう。

朝鮮、満州からの出場校も

 

映画の中で印象的なセリフがある。永瀬正敏扮する近藤監督が、

チームについて町のお偉いさんに力説する場面だ。

「蕃人(原住民)は足が速い。漢人(台湾人)は打撃が強い。日本人は守備に長けている」

これを組み合わせれば、強力なチームが作れる。民族など関係ないと訴える。

今となっては信じられないことだが、日系人のヌートバー招集にも、

最初は賛否両論あった。そんな中でも勝つことだけを考えていた栗山監督は

「組み合わせれば強力なチームになる」と確信していたわけだ。

 

コンプレックスが生む、自分の中の“神様”

もうひとつ、近藤監督と栗山監督はどちらも

コンプレックスを抱えた指揮官だったという共通点がある。

あくまで劇中の設定ではあるが、近藤監督は日本国内で指導者として挫折し、

台湾でも極力野球に関わらず、ひっそり暮らしていた。

だが、選手たちの高いポテンシャルに心を動かされ、再び監督になる決意をする。

甲子園前夜、寝ている選手たちに「ここまで連れてきてくれてありがとう」と語り、

近藤自身のコンプレックスが浄化される瞬間が印象的に描かれている。

 

思い起こせば栗山監督も、「選手としてたいした実績がない」

「野球に対してコンプレックスがある」と代表監督らしからぬ言葉を連発していた。

とにかく選手ファーストで、最後まで信じる采配が脚光を浴びたが、

その謙虚さがコンプレックスから生まれていることは間違いないだろう。

 

「野球の神様」というスピリチュアルな発言が突っ込まれがちな栗山監督だが、

神様というのは、コンプレックスと表裏一体なのではないかと思う。

自分が認める自分になりたい。そう思ったときに神様は現れるのかもしれない。

 

「栗山ノート」光文社 2019年

指揮官にとって選手を信じるということは、自分を信じるということなのだ。

大会を通じて自分を信じ切った栗山監督の姿に、

カタルシスを覚えた私のような中年も多いのではないか。

 

我らが三浦監督も、「横浜で優勝したい」という志半ばで引退した過去がある。

さて次は誰に野球の神様が微笑むのか、物語はもう始まっている、と信じたい。