横浜のフリーランスは有隣堂と市立図書館に出没しがち
時間が空いたら、伊勢佐木モールの有隣堂に行くことにしています。
関内近辺では唯一の書店で、しかも歴史があって街のシンボル的存在なので、
無くなってほしくない、というのがあるんです。
だけど正直、最近はその場で新刊を買うことも少なくなりました。
めぼしい本もAmazonを見ると、状態のいい古書が半値で売られているので、迷ってしまう。
今の人はみんなこうじゃないかな。私は図書館もよく利用します。狭い家には収納スペースがないし、職業柄調べ物が多く、インプットも大切なのに、かけられるお金は限られているので、本当に助かります。日本に帰国してよかったことは、ベイスターズを生観戦できることと、図書館で日本のありとあらゆる本が借りられることです。
伊勢佐木町で白塗り老女、ではなく一冊の本と出会う
先日有隣堂2Fの文庫コーナーをブラブラしていたら、「ヨコハマメリー 白塗りの老娼はどこへいったのか」という本を見つけました。おしろいで真っ白に塗った顔に、歌舞伎の隈取みたいなアイメイク。表紙のおばあさんの姿には見覚えがあるし、そういう人がいたとは聞いたことがあるけど、娼婦だったとは…。興味をひかれましたが、文庫で980円という金額に躊躇して、別の本を買ってその日は店を出ました。
数日後、翻訳会社の研修に行くことが決まりました。久しぶりに都内へ行くことになったので、電車の中で読む本を探そうと、横浜市立図書館で日本文学の文庫コーナーを物色していると、また「ヨコハマメリー」の表紙が目に入ったんです。地元の伝説的人物の話だし、横浜だからこそ、こうして何度も出会うのだろうとは思ったのですが、縁も感じたし、今度は躊躇する理由がないので、すぐ手に取って借りて帰りました。
メリーさんと横浜スタジアムの意外なつながり
この本はノンフィクションの読物ではなく、ドキュメンタリー映画の撮影記録でした。監督は私より2つ年上の1975年生まれ。20代だった90年代後半に、横浜の都市伝説であるメリーさんの存在を追いかけ始め、30代前半でようやく映画が完成したことがわかります。90年代後半といえば、私がベイスターズの魅力にはまった98年の日本一と重なります。メリーさんは95年頃に姿を消したとか。
推定年齢80歳代という人生の最晩年に、伊勢佐木町の通りに立っていたという伝説の娼婦・メリーさんの謎を解くため、地元の人に話を聞きつつ、戦後混乱期のヨコハマの「身を売って生きた女たちの戦い」を追っていきます。メリーさんは、戦後ヨコハマにアメリカ兵が駐屯した時、彼ら専門の娼婦として働いていた“パンパン”の生き残りだというのです。
電車の中で読み始めて、翌日には読み終えてしまいました。一気読みです。感慨深かったのが、今の横浜スタジアムがある横浜公園は、かつて外国人向けの遊郭だったという歴史です。90年代の横浜で、戦後のダークサイドを背負った老婆が姿を消した。その3年後に横浜ベイスターズが日本一になる。歴史的なターニングポイントというか、因縁めいたものを感じました。球場がGHQに接収されたことがある、とは知っていましたが、まさか横浜公園で見慣れた日本庭園や灯篭が、外国人向け遊郭の名残だったとは…。
なぜメリーさんは横浜の街角に立ち続けていたのか
身もふたもない言い方をすれば、娼婦時代を引きずって痛ましいほど濃いメイクをし、最後はホームレスとなって街をさまよっていたメリーさん。奇異の目にさらされて辛いことも多かったとは思うのですが、インタビューに応じた地元の人々が温かく、親身になって世話してあげているのに驚きました。誰もが戦後の混乱期をくぐり抜け、「訳アリなんだな」と見守る寛容さを持ち合わせていた時代なのかな、と思いました。
さて、メリーさんが老人になっても街角に立っていたのはなぜなのか。その答えは本書を読んでも映画を見ても、結局わかりませんでした。
「横浜で恋に落ちた外国人将校のことが忘れられなくて、当時と同じ衣装で待っていたのではないか」
「おしろいを塗って仮面をつけて、ハマのメリーという別人を演じきっていたのでは」
と推測する人はいますが、誰もそこまで詮索していないし、本人もはぐらかしていたようです。監督もメリーさんをかなり繊細に、大切な宝物のように扱っています。もっと踏み込んでもいいのではないかと思いましたが、そこが本作の魅力でもあります。
一方、芸能週刊誌は下衆な好奇心旺盛で、メリーさんの実家に押しかけて、実の弟にメリーさんの半生を根ほり葉ほり聞いています。その辺の対比も興味深かったです。
人によってとらえ方が全然違うメリーさんの人生
結局のところ実弟が語ったメリーさんが娼婦になるまでの歴史は、監督が調査したことと事実上はあまり変わらなかったのですが、捉え方がまったく違っていて、印象的でした。
「姉は結婚に失敗して、それが元でああなったんだと思います。失敗していなければ、子供でもできていれば、あないなことにはならんのですけども」
いかにも30年前に田舎の家の当主が言いそうなことだなぁと思いつつ、翻って横浜の人々は、メリーさんの人生を決して転落と捉えていないことに気づきました。大恋愛を忘れられずに街娼を続けている、街の伝説的人物を演じている。そんなふうに一つの尊い生き方として認めていたんです。LGBTとかサスティナブルなんて言葉が生まれる何十年も前に、多様性を認めていた人たちがいたことに、横浜市民として嬉しくなりました。
本書はメリーさんを軸にして、激動の戦後ヨコハマを生き抜いた人々の物語です。「メリケンお浜」しかり、色を売り、欲を相手に商売をしていた人たちの末路は壮絶ですが、当のメリーさんは実に穏やかで幸せな老後を送ったということが、意外でもあり皮肉でもあります。
メリーさんはどこかの時点で、現実世界ではなく、幻想の世界の娼婦になったような。生涯娼婦として街頭に立ちながら、その生活は流浪の僧侶のような感じも与える。そこが人間の奥深さであり、人生の不思議なのかもしれません。