東京と北京で次々にオリンピックが開催され、
日本の新聞と人民日報などを読み比べていました。
日本語の「スポーツ」に対して、中国は「運動」といいます。
国民的スポーツは「国家運動」。
英語をただ読みやすく表記しているだけのカタカナ英語と違って、
母語を使って表現しているのって、なんか強くないですか。
サッカーは足球、バスケは籃球。足でする球技、籃(カゴ)に入れる球技。
カタカナ語って、なんかイメージがスパンと脳に入ってこないというか、
借り物って感じがしてしまうんですよね。
サッカーっていうのがまた「アソシエーションフットボール」の略語で、
略語をカタカナにしているから、本質から離れているように感じるのか。
いや、サッカー自体は何も悪くないんですけど。
その点「野球」は日本独自の言葉だから、アイデンティティがしっかりしている。
中馬 庚の功績は大きいですよね。
最近思うのは、「サスティナブル」は重要な言葉なのに、
カタカナ語のままでは押し切ろうとしていていいのかな、ということ。
この言葉が全然入ってこないんですよね。「サブリミナル」と混同して、
新しい思想で洗脳されかけているような警戒心すら覚える。
時々見かける「持続性」という訳語も堅すぎるし、
何かいい訳後はないものだろうか…と思うわけです。
中国語では「可持续」「永續」という言い方をします。
中華圏では「续」という字を「~しつづける」という意味で
日常的に使うから、日本語の「持続する」とはかなりイメージが違います。
共有するべき概念は、きちんと腑に落ちる母語に訳した方がいいと思うのです。
「サスティナブルな生活」じゃなくて、「未来を守る生活」の方が、
ずっと自分自身の問題として入ってきやすいと思いませんか。
かといって「ていねいな暮らし」のように言葉がハマりすぎると、
独り歩きして中身がついていかないということになる。
日本語って難しいですね。