翻訳者に必要なのは語学力より日本語力、とよく言われます。
外国語を適切な日本語に置き換える仕事なのですから、
日本語の表現力が豊かであればあるほど、
いい訳が書けるのは間違いないとは思います。思うのですが。
私の場合、日本語力には少し自信があります。というか、それしかない。
小学生の頃から人に褒められるといえば作文しかなかったし、
編集としてライターとして、文章力だけで食いつないできたわけですから。
編集長にどやされながら、雑誌や書籍で人様に読んでもらえるように
工夫して文章を治すなり書くなりを20年やってきたので、
誰にとっても読みやすい字幕が書けるんじゃないかと思います。
でも、日本語力>語学力の私からすると、
「翻訳者に必要なのは語学力より日本語力」なのかは、疑問です。
なぜなら、なまじ日本語力があると、なんとなく「座りのいい訳」に
逃げてしまうことに気づいたからです。
米原万里さんの名著「不実な美女か貞淑な醜女か」でいうと、
不実な美女を生み出してしまいがち。中国語→日本語への訳出が難しいと、
力任せに日本語で補おうとしてしまうのです。
もちろん、作品の要となるようなセリフではこんなことしませんが、
貞淑な美女を目指して、どんなセリフも気を抜かないようにせねば。
やはり翻訳者として一番大切なのは、原語を理解する力だと思います。
そこをしっかり固めて、多少は自信のある日本語力を生かしたいです。