すごいですね侍ジャパン。普通に強いとは思ってたけどまさか全勝で2次ラウンド進出とは。劇的な勝ち方ばかりで、日本は盛り上がっているのではないでしょうか。若いスターが続々生まれているのもいいですね。我らが筒香も全国区だ!
残念ながら台湾代表は1次ラウンド敗退となりました。こちらも毎回手に汗握る接戦だったわけですが、最後の試合でサヨナラ満塁ホームランを浴びるという、悲しすぎる幕切れとなってしまいました。
11/11の日本対メキシコ、11/12の日本対ドミニカ、そして11/14の台湾対キューバを観戦した私ですが、その間我が家ではちょっとした葛藤があったのです。12日、ダンナの見送りを兼ねているとはいえ、桃園で試合終了まで付き合わせて、タクシーと高鐵(台湾新幹線)を乗り継いで帰ってきた息子が、13日の夜に発熱。あぁ、いくら野球が好きでもこれじゃ母親失格だ、と反省して、台中での台湾戦は諦めることにしました。チケットはもちろん高鐵も予約して、台中在住の友人宅に泊めてもらう約束もしていたので、取り消しのために動き始めたその時です。
意外にも発熱した息子が泣き出したのです。「陽岱鋼を見に行きたい」と。
北海道日本ハムファイターズでプレーする陽岱鋼選手は、台湾屈指の人気スポーツ選手です。中学卒業と同時に日本の福岡第一高校に野球留学して、高卒で日本ハムへ。プロ入り4年目に内野から外野にコンバートされて才能が開花し、日本ハムの看板選手になりました。いまや台湾では知らない人はいない国民的スターです。
画像はCMoneyという台湾のサイトからお借りしました。
足が速くて守備がうまくて長打も打てる、おまけに見た目もかっこいいという子供にはわかりやすい魅力を持った陽選手ですが、我が子にとっては日本語と中国語を両方話す自分との共通点も大きなポイントのようなのです。ハーフとか親が外国人ということは、親日家が多い台湾ではハンデになるようなことはなく、その点は本当に助かっているのですが、子供なりに小さな「あれ?」は感じているはずなんですよね。
たとえば日本から仮面ライダーグッズを買って帰っても幼稚園の同級生にはいまいちリアクションしてもらえなかったり(台湾でも仮面ライダーは放送されていますが、放送が2年ほど前のものなので、最新ライダーは誰も知らないのです)。日本のおじいちゃんおばあちゃんに、幼稚園で習った歌を歌って聞かせても、いまいちピンと来てなかったり(中国語なのでしかたない)。
そんな中、自分と同じように中国語と日本語を操り、父と同じ台湾人だけど母の故郷である日本で暮らしている。台湾でも日本でも「ああ、陽選手ね!」とリアクションしてもらえる存在が陽選手。「みんな陽岱鋼知ってるね」という時の嬉しそうな顔といったらありません。陽選手は野球うんぬん以前に、息子にとって日台を結ぶヒーローとなっているようなのです。
息子4歳が描いた陽選手の絵
そんなわけでちょっと特別な陽選手ですが、実は私にとっても思い入れのある選手なんです。私が某スポーツ雑誌で編集兼ライターとして働いていた頃、ちょうど日本ハムに入団が決まり、取材に行ったことがあるからです。当時は改名する前で、陽仲壽という名前の高校生でした。
2005年末のドラフト会議では、陽選手を巡ってちょっとしたトラブルがありました。陽選手はダイエー(現ソフトバンク)と日ハムが1位指名し、両球団によるくじ引きになったのですが、くじのわかりにくい表記のせいで、当時のダイエー監督である王貞治さんが陽選手の指名権を得たと勘違いしてガッツポーズ、一旦はダイエーに決まったと思われたのが、実は指名権をゲットしたのは日本ハムだったという大混乱が起きてしまったのです。ちょうど今年のドラフトでもヤクルトの真中監督が同じ勘違いをしたというニュースを見て、「いい加減に表記をもっとわかりやすく変えとけよ!」と思ったのは私だけではないはず。
陽選手がこのトラブル後の会見で涙したことは、私の胸に強く残りました。台湾から来たまだ18歳の少年を、大人たちの(なんか慣習から来たっぽい)ミスで泣かせるなよ、と思ったわけです。というのも台湾の英雄である王さんが監督を務め、しかも当時兄の陽耀勳(現ラミーゴ)も所属していたダイエーが、彼にとって一番行きたいチームであることは明らかで、王さんがガッツポーズした瞬間、テレビカメラに抜かれた陽選手の顔は喜びに輝いていたんです。そして勘違いが判明して涙。プロ入り後のインタビューなどでは、「プロに入れたことへの嬉し涙」と説明していますが、夢のダイエー入りから一転、台湾からも福岡からも一番遠い北海道へ行くことになって、そこに少なからず動揺があったことは誰でも想像できます。
そのドラフト会議の翌日、私は鬼編集長の命令でスポーツ界では著名なライターさんを連れて福岡へ飛びました。予想通り陽選手は日ハムへの感謝を口にしつつも複雑な表情で、当時は今ほど日本語が流暢ではなかったこともあって口が重く、こちらも決して悪気はないけれど、ただただ傷口に塩を塗るようなインタビューになってしまって、心苦しい思いをしました。最後にライターさんが台湾旅行で食べた「魯肉飯」について、あれ美味しいですね、と言った時だけ笑顔になったことが忘れられません。
その後取材する機会は訪れませんでしたが、陰ながら陽選手を応援してきました。真っ黒の坊主頭で、いつもなんだか所在無げだった台湾から来たあの少年が、おしゃれでかっこいい、堂々たるオーラのスター選手になるなんて。内野でオタオタしていたあの選手が、守備のコンバートにも積極的に取り組み、ゴールデングラブ常連となり、新庄剛志がつけていた背番号1を背負うほどの実力派野手になるなんて。
そして個人的に一番の驚きは、私自身が台湾人とのハーフを産み、その子にとって陽選手が泣くほど会いたい存在になったことです。
2月に台北で開かれた「棒球英雄展」にて
そんなわけで私たち親子にとって特別な存在である陽選手を応援するために、プレミア12の開幕前から親子で応援歌を練習してきました。普段は熱があっても横にならない息子が、自ら頭に氷嚢を乗せてベッドに横たわり、「絶対治して陽岱鋼見る」と言って、この姿勢で応援歌を一生懸命歌うのです。どうしたものか。。。
この応援歌がとてもいい歌詞なのですよ。
飛ばせ 飛ばせ遥か夢の彼方へ
届けろ祖国の地へと
加油!岱鋼 今ここから
さて、氷嚢を乗せて寝ること半日。息子の願いが通じたのか、みるみる熱は下がっていき、私は意を決して台中に行くことにしました。向こうには親切な友達家族もいるし、途中で具合が悪くなったらすぐに帰ろう。満員の球場にもかなりヒヤヒヤしながら行きましたが、息子は近くに陽岱鋼がいるとわかって、具合が悪くなるどころかどんどん元気になっていき、キューバ戦の劇的な勝利を最後まで見ることができました。
野球のルールがよくわかっていない息子は陽選手の打席以外には興味なし、林智勝選手が決勝ホームランを放った時も、歓声の大きさにただただビビっていて、最終的には勝利を祝う花火に一番はしゃいでいました。。。心の底からどないやねんと思ったけど、今後に期待しましょう。
台湾の野球ファンで埋め尽くされた球場は、スタメン発表で陽選手の名前が呼ばれた瞬間、地響きのような大歓声に包まれました。やっぱり野球選手の子供への影響力はすごいなぁ、と。別にスター選手になってほしいととかいうことではないのです。ただ、15歳で日本に渡り、努力して台湾のスターになった陽岱鋼という存在が、私たち親子に力をくれていることは間違いないのです。私自身なぜこんなに野球が好きなのか説明できないのですが、結局は勇気付けられるということに尽きるのではないかと思います。
今日はさすがに桃園まで行けませんが、このまま侍ジャパンにも突っ走って欲しいです。そして今大会はおそらく自身のプレーにも悔いが残ったであろう陽選手には、これをバネに日ハムでトリプルスリーを目指して欲しい。
加油!岱鋼 今ここから!